電車に乗ったら窓に貼られた広告に「骨髄バンクのドナーに!」と言われた。

 優先席にデカい顔して座るヤーマンや降りる人を譲らず乗り込むサラリーマンなど、小田急線は雑魚がよく吠える。

  私の目の前にはイケメン高校生が座っていて、その子との学校生活を妄想しながら最寄りまで暇を潰す。

 つまり私も雑魚なのだ。

 

 外は暑い。まだ朝の8時台なのに日傘をさしてる馬鹿もいる。馬鹿か?と思ったが馬鹿なのは間違いなく日本の気温だ。

 暑さで人は馬鹿になるというが、その通りかもしれない。最近自分も自分の周りも明らかに狂ってる。日に日に増す狂い。

 気温に、生活に、思考に耐えられなくなり人は狂う。

 2023年夏、私は狂いに拍車が掛かっていた。

 

 今年の夏、私は失恋をした。

 冬に生まれた感情は春に育って夏に死んだ。

 

 「好きで好きで仕方なかった。」

 私は殺人未遂なんてしていないが、この言葉以外に例えようがない。

 

 好きで好きで仕方なかった。から何もできなかった。本当に何も。

 

 これが仕事だったら迷わず解雇だ。

 ただ店の端に立ってスマホを構う、某スケートブランド店員と化していた。

 

 自分の手に追える自信がなかった。

 だから明確な願望を持つことを避けて、感情も無視した。

 ただ好きという言葉だけは一人歩きしていた。

 

 見えるもの全てが好きだった。

 愛が形になったような口とか、馬鹿みたいに大きすぎる手とか、見た目の割に高い声とか。

 私が知れる全てが好きで、嫌いな部分はひとつも見つけられなかった。

 それがまた腹立たしいのだ。

 

 知れば知るほど好きになってしまうから、必要以上に見たくないし会いたくなかったのかもしれない。

 

 どんな距離でも構わないからずっと見ていたかったし、なりたいとさえ思ってしまった。

 私が見た視線、声、匂い、半永久的に共有してほしかった。

 

 現実を知りながらも夢想していた自分が憎い。

 

 だけど絶望は不覚にも軽かった。

 あんなに好きだったのに、こんなにも早く立ち直ってしまう。

 そんな自分がまた気持ち悪い。

 半年間私が大切にしてきた気持ちはなんだったんだろうか。

 理由や原動力が欲しかっただけなのではないか。

 本当は縋れるものならなんでも良かったんじゃないか。

 

 私には逃げる場所が必要だった。これからも必要。

 

 救ってくれるのは恋愛対象ではなく、その場に置かれた自分。

 どこにも行かないでほしいのも自分。

 やり場のない自己愛を野放しにして誰かに重ね合わせたりしているだけ。

 

 そんな自分の愚かすぎる側面を俯瞰しながらも、私は私の連鎖を止められない。

 

 そして気づいた頃には夏も終わっているのだろう。

 

 秋、妊婦の腹のように膨れ上がった私の自己愛は、破裂してしまうだろうか。