わたし

 

はやく

自分を作り上げたいのに

いつまでたっても未完成

 

最近は大森靖子を聴いても病まない

それくらい元気になった

 

イヤホンから言葉をかき集める

聞こえた言葉で自分を知る

そして自分を構成する

自分の中の弱さや恥ずかしさをかわいいに変える

平穏を保つ

 

自分で自分を操れないことも

全部自分のせいにする

全部思春期のせい

全部私の中の私が悪い

全部私のせいなんかじゃない

 

自分で自分を苦しめて

自分で自分の幸せを作る

自分以外の人に苦しめられることは許せないし

自分の幸せは自分で作らなきゃ満足できない

他人が作るものは不確かでしょ

 

私が一番に好きな人が私を一番に思ってなくても 私はきっとその子が大好きで

その子は私の嫌いな私を好きと言ってくれて

大好きな人が大好きな私を嫌いなわけないのにね

どうして許してあげられないのかな

結局私が執着してたのは、他人の目じゃなくて自分の目だった

のかもしれない

自分に嫌われたら終わりだ

私が私を好きでいたい

一生切れない私と私の関係を綺麗なものにして終わりたい

 

自分のことが好きだからこそいやになる

自分の嫌なとこなんて見たくないのに

嫌な自分を受け入れられない器の小さな自分が大っ嫌い

一個でも駄目なところを見つけると自分のことが嫌い

早く私を自由にしてあげたい

 

私の評価は私の中では絶対だから

私の人生には私しかいないから

私の正しいは絶対なのですがね

 

入院生活1週間が過ぎました

よくがんばってるな

となりの部屋にヤバイ人が入ってきた

日中はずーっとブツブツ言って廊下を歩いてるのに

夜はCONVERSE☆と書かれたキャップをかぶり、服は着替えず、俊足を履いたまま寝ていて爆笑した

ベッドも初期装備のままで爆笑してる

 

今日も一つ気づいたことを書く

 

私は今まで、自分のことが嫌いだと思っていた

でも最近気づいたのは、自分と他人はスペクトラムになっていて境界はないのかもしれない

ということ

 

そもそも他人や環境がなければ、私は病気になっていないし、もちろん存在すらしていない

環境が私を作っている

とも言える

 

私というものは、他人や環境の隙間にできた空間だとも思っている

さまざまな環境が密集して、そのわずかな隙間に私の名前が付いている

自分という物体はそもそもない

強いて言うなら概念みたいな

 

私には私の形があるじゃん と思うけど

それすら環境を作るためのただの形なのかもな

そうやって私も形としていることで、他人や環境を作れている

 

自分と他人が連体形になっているの

 

だからよく言えば私に全責任はない

だからと言って周りが悪いというわけでもない

正解不正解はそれぞれの中で決まる

もはや正解も不正解もないのだにゃ

 

私の不具合は、環境の不具合だから

 

うまく融合できなかった水と油が私にかかる

ことがあるだけ

 

だから理想と違った環境や他人をわざわざ作りかえようと悩むこともしなくていい

他人には他人の環境のバランスがある

環境に生きづらさを感じるなら、自分が動けばいいのだな

自分を変えることは自分の環境を変えることで

環境を変えることは自分を変えること

なのかもしれない

 

自分を好きになるためには、自分の好きな環境を作っちゃえばいいのだな〜と思う

 

明日から開放病棟にランクアップします

おわり

魚うぉう(WOWWOW)

 

あけおめ、負け犬はちゃんです

 

2018年は特に何もなかった

人と深く関わっていない

自分としか関われなかった

自分とも仲悪かった

秒で終わった

精神科に4回入院した

たくさん警察に保護された

あとは覚えてない

大学生になった バイト失敗した 

くらい

 

最近わかったことを書く

 

私はいつも、他人に自己を投影してた

他人に理想や幻想を抱いて、落胆した過去を思い出し自分から関係を断つ

誰かが傷つかないためにと思ってする行動も、結局は自己防衛だ

私が私を嫌いにならないためすにる。

好きになるなんて次元の話じゃないんだよ

でも他人なんて結局他人

だから唯一血の繋がってる家族に自己投影して期待を押し付ける

そして切っても切れない相手に依存する 

でも他人は他人私じゃなかった

 

誰かに愛されたいわけじゃないし

必要とされたいわけじゃないし

認められたいわけじゃない

鏡に映るように相手に反射して映る自分を、愛して必要として認めてあげたいだけだったのかもしれない

「自分のことも愛せない人間が他の人なんか愛せるわけがない」とかよく言うけど、本当かもしれん。自分が自分のことを嫌いだと、世界全体が嫌いになるし見たくもなくなる。

全部に靄がかかって白い壁が真っ黒になる

自分なんかの目に見えてるものなんて見たくないとか思ってた

 

私は人の嫌な部分が一つ見えるとそこしか見えなくなる。自分にも同じように、自分の嫌いな部分が一つでもあるとそれが自分の全てなんだと思い込む。

例えば、遅刻したら今日はダメな日とか。1日のうちのたった数分遅らせただけで、その後の数十時間も無駄にする とか

そんなこと繰り返してたら自分はこの先の人生の何十年無駄にするの…って思う

からやめた

 

自分で自分を殺してるくせに被害者面するの、もう飽きた

自分の嫌いな自分だけ殺すか、仲良くなればいい

 

そんなことでしか自分の存在する意味を確認できなかったので、自信をつけろと言われても難しい

失敗するのが怖くて何もしてこなかったので達成感を知らない

から退院したら色々する

 

2019年の目標ははなちゃんと仲良くなることです。

寂しさ

独りは寂しいな、酷だな

やっと取り戻せたと思ったのに、なんで自ら地獄への近道をたどってしまうのかー?

やっともう治っちゃうとこまで行ったのにこんな弱い意思だから、この先に行くのが怖くてもう1人のわたしが手を離してくれないよ

わたしはここだよここにいるのに自分が大好きだからこそ、そんな自分を壊そうとするもう1人の自分を殺したい

今わたしを殺そうとしてくるのは悪魔や病気じゃなくて、もう1人の自我なわけで厄介な野郎。とんでもねえな

明らかに対人関係の問題ではなく、孤独が鬱を生む むかつく

 

久しぶりにODしている

世界の基準が全然わからない…

なんども思ったけど、今まで無理して良くなってるって思わないと壊れるしメンヘラになっちゃうと思ってたけど、無理しすぎてた

 

結局病気じゃなくなるのが怖いのか?治ったら普通に生活できるようになれるかな?とか、不安は大きい。大学生もう一回やる人みたいな感じかな

 

久しぶりにODしてしまった、いつかバレて生活できなくなり保護入院でしょ、よくなったと思ったらまた悪魔が襲ってくる抜け出せない沼だな

 

地獄からの天国はつかの間明日は絶対大丈夫だよ

死をお守りに

 

ポケットにいつも死が入っているんだって、死はポケットの中にいるもう1人の私ということ。だから仲が悪くなることもあれば、仲良くなろうと努力することもある。

 

おととい、ヒステリックモンスターが出現してしまったため、深夜に精神病棟に運ばれて監禁されてた。環境が変わって体調もよくなったら家に帰ろうって言われていた。だが、時間や食事、原則3ヶ月入院の大部屋移動、断酒会の教材代の請求。それより戸惑ったのはマニュアル通りの「患者チェックシート」1.あなたは自殺願望がありますか?ないですよね。2.あなたは抑鬱ですか?はい3.あなたは突発的な行動をとりますか?いいえ などの項目に看護師が淡々とチェックを入れていく。 そもそも二泊目安の予定だったのに、月間スケジュールが渡されたり、2週間経てば外に出かけられるとか、意味わからない。閉鎖やん。主治医の意図と違いすぎて、みんなに騙されたとパニックを起こして、病院からパジャマのままこっそり逃げて走って遠くまで行ってどっかで薬買って致死量飲んで山の方行って寝ちゃおうと思ってた。そしたらお父さんが走って探しに来てくれた。

 

 その日家に帰ってもこれまでに見たこともない地獄が見えて。天井から女に笑われてるし看護師にも笑われてるし笑うなばか。自殺以外もあ私が幸せになる手段ないから死のうとしたら、家族の一言で踏みとどまることができた。

 

朝起きて、昨日までの記憶が滅茶滅茶怖かったしばかみたい。自分を犠牲にして私の馬鹿げた行動を引き止めてくれてありがとうと申し訳ない。結局嫌いな他人とかなんてどうでもよくて、どうでもよくない笑ってて欲しいと思うのが私の好きな人。別に少ないままでよいし。みんな東京にいるからつらいけど

みんなと同じレールの上なんて歩きたくないと一番思っていた私が、1番取り残されることを恐れて、みんなから見えない道で同じゴール地点を目指して全力疾走していた。馬鹿みたいに生き急ぎ野郎なんだな

 

そんなこんなで本日はグッチのピアスとギャルソンのハッピーバッグみたいなのを買ってみたひとつはドットのスニーカーとGOOD DESIGHN SHOP のクマのぬいぐるみだった🐻

おかあさんに買ったのは同じスニーカーとCDG×はらだおさむのシャツのあまりの布だっからエプロン作るらしい

あとは、しゅんくんから本を預かるため穴場喫茶に行っりプリクラ撮ったりお父さんと3人で韓国行った

 

明日はおきたら服を着替えてメイクして公園に、借りた本を読みに行く

 

お守り

ちゃんと死にたいと思ってる。と私はちゃんと毎日思っている。そう思っていないと存在自体が消えてしまいそうな気がするから。

心の病気の成れの果て、統合失調症というやつだ。

 

私はいつもアメーバのような人間で中身はすっからかんで何も持っていない。私の中に確立されているのは、死にたいという感情だけ。「死」は親友で家族で私自身だ

 

本気でその言葉を使うときもあれば、命つなぎつまりは逃げで使うこともある。

 

1秒たりとも私から離れない悪魔であり聖母マリアのような言葉。どん底に落として、私を救って、手のひらで転がされる。ODや自殺未遂で病院に運ばれ閉鎖病棟という不思議な場所に送り込まれる。そこでは不安と安心を与えられる。外の世界で生きていけない私にとっては、モンスターを保護して、本当の私は守られる最高の自由の場なのかもしれない。

まるでヴェノムだ。

 

「死」は誰よりも死にたくない私のお守りなんだよ

日録

 

眠れないなと思って時間見たら、投薬してから30分以上たってて文字がぐにゃぐにゃしてきた。

眠れないからブログを書く

 

明日やることを考えてた。ここ数日具合がいいので外に出てる。明日は雨らしい、だから家にいないといけない。家の中だとパニック発作を起こしてしまう。魔の15時〜17時がピーク帯。

 

日録は明日にするけど明日することは今決める。から描いている。

 

朝晴れていたら散歩がてら公園でタバコが吸いたかったけどあめなら、久々に自分の部屋で作業をするつもりだ。

小説「思春期病棟の少女たち」がもう終盤まできていて、精神医学の用語がたくさん出てきた。精神分析や退行催眠について深く掘り下げてみるつもりだ。

 

つまり明日は、部屋で日録を書き、ブログを描き、作家ごっこにきまりなわけだ。

 

このままだと日録書き始めて病むかと思われるので寝る。今日も悪魔と戦った自分おつかれさま、明日も死にたくなっても大丈夫です