場合による

 

人に向けた好意を迷惑だと跳ね返された場合。

 

私はきっと悔しいと感じるだろう。そして持っていた行為の片隅に”復讐”を覚える。

こんなこと書いてる今だってしょうもない自分と戦いながら、疑心暗鬼と戦いながら、しょうもない君とまたどこかで交われるように、願っているのかもしれない。

努力という名のエゴが、報われると信じているのだと思う。

 

好きという気持ちは必ずしも嬉しいとは限らない。

”好き”が正解だと定義づけられた世界に生まれてきてしまっただけであって、受け取る相手によっては迷惑行為にだってなりうる。

 

不必要なものの管理を任されている。そんな被害的な感覚

 

また一人ぼっちの世界に来た。
私を認めてくれる人、必要としてくれる人を失った、私はいつもこう思っていた
でもよく考えてみると、私が必要としていたものは自分に向けられる視線や好意であって、人間ではなかった
人から与えてもらう自分の価値に飢えていた
自分と向き合うことから避け続けて、他人からの評価、それが自信なのだと信じていた
良い意味でも悪い意味でも、自分を物体として捉えず常に浮遊している流動体のようなものだと思っていた。
同時に私は人を「一緒に過ごしていく中で楽しかったり時には苦しかったり経験の幅を広げてくれる存在」ではなく、自分の承認欲求を満たすための道具だと勘違いしていた。
しかしただ自分の間違えがわかっただけで正解がなんなのかわからない。だから余計に悔しくてむしゃくしゃする、ずっと何年間も暗いマンホールの中をふわふわ上がったり沈んだりしている

未読無視

なにかを大切にすることの定義が私にはよくわからない

大切なものは守っておきたいし危害を加えられないよう十分な縄張りを張る、今までもそうしてきたつもりだ

その外野との壁がいくら高くたって厚くたって気にしたことなんてなかった。だってわたしは大切なものを守っているつもりだったから

大切なものは脆くて苦しくて愛おしいものだからそれ以外の感情なんて入ってくる余地がない、きっと崩れて周りにバレてしまうと思った

何かを大切にしようとするときは理性などなく、あるのはただの嫉妬だったりそれを覆い隠すために取る行動だったりする。私たちはそれを正義感だと信じ、その反面自己満足だということもわかっている

大切にしなければと義務付けられるものではないしそこには理性など一切ない

あるのは衝動とか本能とか、内から湧き上がってくる感情に素直な自分だけなのだと思う

わたしにとって大切なものを大切にするの形がこれであるなら大切にすることの10倍は傷つけてしまうことになる

相手を思いやることに自分の欲なんて紛れさせてはいけないのかもしれないけど、ただ相手の幸せのためだけに生きるなんてことは今のわたしにはできそうにない

自分も幸せになりたいと思う邪念があるから

相手にそれを伝えなかったとしてもペナルティを課せたりどこか下心が見え隠れしている、見えないように必死に隠している、バレていることにも大抵気づいていないのだろう

どこにでもいる女子高生と同じ自分に何故かがっかりした

 

あたしにとってヒーローなんていません

あたしにとって人間はみんな人間で同じだ

ヒーローの役なんてあたしにもできる

だからずっと昔から、どん底にいるときは自分を掘り下げて掘り下げて新しい自分とこんにちわしてお友達になるんだ

お友達になる子は大抵ネガティブで人生もハードモードみたい、似た者同士だからぶつかり合いばっかり

イージーモードな人生なんて本当にあるのかわからないけどね

でもたまにポジティブな子がいる

だから大抵はそういう子にヒーローの役をやってもらうんだ

最近会えた子はポジティブな子たちが多くてね、ネガティブちゃんたちにはあんまり会えなくなちゃった

でもたまにすごく悲しそうに笑う子がいたり、言っていることと脳みその中が真逆な子がいたりする

素直になることが怖いのは前から変わらないみたいだ

好きなお友達にはたくさん贅沢させてあげるからこれからもたくさんあそぼうね

ツイッターが、インスタグラムが大好きな場所や服が私を殺していく

まぎれもない欲と決まって襲ってくる嫌悪感

過ぎ去った後の虚無感なんて計り知れやしないのに私はそこでしか生きられない、彼らに生かされているのだ

SNSにつけられた傷をまたSNSで癒し他で拭えなかった涙も放り込み押し付ける

やめてしまえばいいと誰もが言う。でもここから離れるということは、居場所を自ら無くし、水も草もない砂漠に出向き、そこで自分自身を殺せ。ということなのだ

私は刺激のない世界では息ができない汚れた獣なのかもしれない

 だから私はスラム街の中から必死でダイヤモンドを見つけ出し握りしめ安心する。それを毎日繰り返す。

周りはなにか不思議なものを見たような、どこか私を哀れむような目をして言った、「その割られたガラス瓶の破片が何の役に立つの」と

抹殺

死にたい気持ちとか私の中の不甲斐なさとかたまーに高くなるモチベーションとか全部を私の味方にできたらいいなと思う、なに1つ無駄なんてないなら、いっこいっこが大切なら、無農薬のまま何も取り除かない状態で全部取り込んで愛してあげたい。それができるならなんだってやるし何も怖くないよ

生きるのがへたっぴな人間は浮かんでくる感情に都合よく対応するだけで今よりずっと生きやすくなるのかもしれない。上司のしょうもない自慢話とか興味のない同級生の恋バナ聞いてる時みたいに自分のネガティヴな感情ともテキトーに付き合っていけば楽なのかもね

嫌いなものに真剣に向き合って好きになろうとしたってどうにもならないだってどうやったって嫌いで嫌いで大嫌いだから今までなにも解決しなかったんじゃん、それを捨てなきゃ一生そのモヤモヤは一生つきまとってくるよ

嫌いなものも不必要なものも全部断捨離してしまおう

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始まったばっかだけど夏が終わってくの悲しいよな嬉しいよな、最近暑いし心身ともに面倒臭い、自分で自分の人生ハードモードにするのやめたい。人間できることには限界があるのわかってたけど全部甘えだと思ったし自分の好きなことで成功できたら私は幸せなのかな、こんな.(〜🎣🇲🇵💊🗞📗😒😩🏄🏾‍♀️🏸🇷🇪0(0(02わaa''2(302(30(2かa20あさ、かa2(0(0%、かp🇲🇽🇫🇲🇨🇳🇲🇴

🇲🇩🇲🇿🇬🇶🇪🇭🇦🇸🇷🇴なゎかか

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やめたいと思うことたくさんあるけどどんなに足掻いてもなりたいものにはなれなかったし自分は自分でしかなかった、だから私は生まれ変わっても自分になりたいし自分の人生で成功して自分の人生終わらせたい、なんだかんだ自分の人生好きでいてあげられているのかもしれない。けど私が楽しいとか大好きだと思って作った場所も周りのみんなは大嫌いなもので、だから文句言われて全部が嫌な思い出で終わるそんなの全然楽しいでも大好きでもないじゃん、なれないじゃん、ならせてくれないじゃん。そんなの気にしないで自分が楽しければ1番良いと思えるほど強くもない。なんでみんなと同じことできなかったりみんなで楽しいってことができないんだろうね、それを強要される世界もわからないけど。みんなが思う偉いと私の思う偉いが違いすぎる良いことと悪いことの基準ももうよくわからない、いつかみんなで一緒にってことの中に入れるようになるといいね自分。ずっと最強になりたかったけど自分がそう思っちゃえばすでに最強で思い込みのまま終われるのかもしれない脳みそ弱いから。こういうこと言ってるとどうせまたいろいろ言われるんだけどまあ人間の80%は水だし水がなんか言ってると思えばどうでもいいか
世間体とか固定概念とか面倒臭いもの全部捨てちゃえばダサい生き方もやめられるのにね、はなちゃん

こりゃ一年前の記事ですあんたは変われたか?