心境

 

昔のブログを読み返した。ちょうど一年前、保護入院する前の記事とかは病みすぎてて相当大変そうだな、保護入院て本人の意思は無視されるいわゆる半強制入院

 

そして今年、また、精神が異常気象を起こして入院した。今回は任意入院らしい。搬送されて気づいたらここにいたので正直まだ実感がない。任意のはずなのに保護や措置みたい。でも思ったのは入院制度での看護師の対応の差。お前らすごいなって感じ

 

社会に出ると社会不適合と言われるのに、病棟に入って患者さんを見ると不覚にも自分なんてまだまだ大丈夫じゃんと思ってしまう。だからこそこの中途半端なところにいる自分が生ぬるくて気持ち悪い

 

私は統合失調症なわけでもないのに

任意入院のはずが私は書類にサインすらしていないし

 

これも全部親のエゴなのかと思ってしまった

私の両親は私のことをすごく愛してくれる、過保護なくらいに大好きでいてくれる。わたしも2人が大好き。お父さんと2人でディズニーに行ったら映画見に行ったり、2人で服を見に行ったりする。お母さんとはいつも遊んでて最近はよく新大久保に行く。毎日面会にもきてくれる、わたしの好きなブランドも2人の影響

 

そんな両親でもたまに憎くて憎くてたまらなくなる時がある。愛されすぎて好きすぎてそれ以上の感覚を知ってしまうとそこにはアメーバみたいな言葉にならない感情が存在する。好きな歌手がそんなことを言っていて自分にはないと思っていたが自分にもあった、最近気づいた。愛も憎悪もぜんぶそこにある。だから言葉にすると全部が壊れる

 

わたしには4つ上の姉がいる。お姉ちゃんはわたしの分身みたいなもので悪く言えば共依存。辛いも楽しいも全部一緒に感じてきた。その場にいなくてもお姉ちゃんが辛ければわたしも辛いし、お姉ちゃんが嬉しいと多分わたしはそれ以上に喜ぶ。私の全てを受け入れてくれるお姉ちゃんは私の唯一の理解者で生きてる意味

 

だからわたしはまだまだ生きるしきっと誰より生きたがってる

 

入院生活は暇だから人間観察論文を書こうと思う。理不尽な看護師がいたからそれがきっかけ。対象は患者と看護師、たまに主治医とカウンセラーも例外として加えたい。目的と内容は"患者対看護師の関係性"と"それぞれの人間性"、"看護師から患者への対応の違いとそれによる影響"をグループ分けして見て生きたい。それを通して自分のなりたい人間像を作る、あくまで人間観察なので利己的見解は含まないものとする。

 

この生活も人生だし無駄にならないように職場体験だと思って適当に過ごすつもり