負け犬論

あくまで独り言

 

大学に行かなくなってから1ヶ月半ほどが過ぎた

週休7日の私には、2パターンの私生活がある

1つは学校に行かなかった自分を責めて何もしない日 正しくは何もできない日

部屋から出ない、カーテンを開けない、風呂に入らない、誰とも話さない 人間らしいことを何もしない ことで自分を保つ

もしその日私が人間として生きてしまったら、学校をサボったことになってしまうから

どうしても自分は大学に行けなかったんだという証拠が欲しい

自分で責任を負いたくないから、周りの誰もが認める"苦しそうなはなちゃん"にならないと私は大学を休めない

冷静に考えれば誰の迷惑にもならないのに、結局私は私に許して欲しかった

「はなちゃん、今日は何も出来なかったね。学校に行けないなんて当たり前だよ。生きてるだけで偉かった。」って自分に言ってほしかった

私を許せないのはいつも私だけだ

そんな自分が超大嫌い

ネガティブで悲劇のヒロインを演じた私なんて死ねばいい

 

2つ目は、自分から社会を断絶する日

小学生の頃学校を休むとベッドが私の天国になっていた

何度も読んでるはずの漫画がこんなに面白いなんて、昼間にくるまる毛布が気持ちいいな、本当はあの子ってそんなに悪い子じゃないかも、とか

みんなが算数をしている間私は好きな音楽を聴いて好きな本を読んで、お母さんにわがままを言う

誰のものでもない私だけの自由と私だけが感じられる背徳感。私だけが気持ちよくて私だけが煩わしい。

調子のいい時は今でもこの感情が蘇る

反対方面の電車に乗って、映画を見たり喫茶店でお茶をすると私は気分が良くなる

社会から浮遊し、社会を断絶する優越感

最近はもはや曜日感覚すら無くなってきてしまっているが、どうせ休むなら価値のあるズル休みかしたい

 

 

二極思考なせいで、日替わりで人生の負け組になったり勝ち組になったりしている

二極思考は面倒だけどスーパーポジティブはなちゃんによれば、なんにでもなれるということらしい

明日の自分はどっちの自分か分からないので疲れてしまうけど、両方を知っているからこそ楽しいと感じられるし苦しいと感じられる

私の好きな私はそういう私だから、こういう私で良かった

 

いつか満たされるとずっと思ってた

生きてて罪悪感ばっかりだ

どんなに幸せでも満たされない

満たされることが申し訳ない

生きててごめんなさいとか、はい死にますとかは思わないけど一つ一つの行動後ろめたさしかない

お母さんとかお父さんとかお姉ちゃんとかばあばとか犬とか自分の近くにいてくれてる人たちに なんか申し訳ない

何をしても何をされても申し訳ない

毎日何もできないこととか、お金を使うこととか、ご飯を食べることとか、水道使うこととか、私と同じ時間を過ごさせちゃうこととか、全部

 

好きな人が好きな子のところに行くのとか嫌だけど

好きな人が私のことで頭を悩ませるのも嫌

ストレス源は私なのに私以外でストレス発散されたら腹立つ

1番になりたいだけだから

唯一無二なんていう都合のいい言葉 私はどーでもいい

 

満たされたくてくるしいのに満たされたら何も残らなくなるんじゃないかと 不安

 

でも分かってしまった

私のような人間一生満たされるはずがない

満たされたいという欲求を満たしたいのだから、満たされてしまった先にはまた新しい満たされない私がいる

満たされたら私じゃない

君ハック

今 わたし、わたし 今

許してほしいの 今日をあなたに

醜い顔したお化けでも

見えないフリして、明日また会うの

 

ずっと見ていて だけど見ないで

都合よくていいから

こんな現実 どうでもいいの

わたしは 夢でいたいの

 

どうしても 許せない

こんなにも 今が愛しく

消えないでと

呟いたのは

昨日の わたしよ

 

 

あすもまた、ごめんなさい 

前払いじゃなきゃ 生きていけない

もう逃げて欲しいあなただけ

騙されないでよ 悪魔の呪いに 

 

どうしてわたしが わたしだけなんで

そんなこと言わないわ

図々しいけど お願い許して  

死んでも ここにいたいの

 

こんなにも 許せない

どうしても 過去が愛しい

消えないでと 呟かないで

明日の わたしも

 

 

どうしても 許せない

こんなにも 今が愛しく

消えないでと

呟いたのは

昨日の わたしよ

 

 

他人が与えてくれる幸せに持続性はないと思ってるので、いつまでも孤独を感じてしまいます。

他人から与えられる幸せはいつなくなるか分からないし、その幸せは私の所有物ではない。それはたとえ親からの愛情であっても。他人が自分にくれたものじゃなくて、見せてくれているものなんですね。

そこで深く傷つくような気がする。

他人との交流で傷つく時は、だいたい相手に理想を抱きまくってる

こうあってほしいとか、こんな人なんだろうなとか、こう言ってほしいとか。

それって世間的には好きというよりも、承認欲求を満たしてるみたいな。そのスリルに快感すら感じてるみたいな

依存とか共依存というのかな

みんな口を揃えて依存は良くないとか言うし私もそう思ってました

でも

それって超素敵だと思った。

好きの形のレパートリーとしてめちゃくちゃありなのではないかと思います。

今の瞬間自分の人生に必要なものがそれで、それを軸に人生動かせちゃうんだから

愛の定義をひとそれぞれ持っていいなら、私は生きるための原動力のひとつだと思ってる。

だとしたらそれって大きな愛の形じゃん。

好きな人のために生きるってこととなんも変わらないじゃんて思う

大切な人がわざわざ自分に幸せ見せてくれてんだから自信持ちたいよね

たしかに依存の上で傷つくことは沢山あるかもしれないけど、それは個人の問題で、関係性と直接繋がる話ではないのかなって思う

私は理想の自分に依存しまくって生きてきたけど、さっさと自分の限界認めて他人からの愛を自分のものにちゃえば良かったなって感じてるよ

令和いかがお過ごしでしょうか。

こんばんは、はなです。

このブログを読んでくれている人、今日は何して過ごしてましたか

 

私は日々幸せと不調を繰り返しています。

1人の人生はあまり上手くいっていません。

幸せが大きすぎて反動が苦しいだけなのか。

病気自体は良くなっていません

始めたアルバイトは5回くらいで辞めました。なんのバイトをしてもだけど、退勤後毎回手が血だらけになってしまいます。

学校も行けていません。授業中も常に発作が起きないようにドキドキしているので授業全く聞けなくなってしまった。

家にいると自傷行為が止まりません

夜中になると幻聴が止まらない

外を歩く人は皆私の悪口言ってるのかな

やっぱり私気持ち悪いのかな

自分が汚くて汚くて仕方ない

 

それでも結局、なんであの子何不自由なく生活しているのに病んでるの?と聞かれてしまう

私は人間苦しいと言うことに基準などないと思うけど。まあ人の価値観は否定できない

私は間違いなく幸せだし、環境に対して不満を持ったこと一度もない。自分の置かれてる環境と自分の価値観がズレがあるからこそ苦しい。望んで生まれてきたわけじゃないし、世の中の価値観と私の価値観が違うだけで責められるのは悔しい

私の生きる環境が世間一般的でいう幸せなら幸せなほど、根拠の無い主観的な幸せを押し付けられれば押し付けられるほど、生きづらさの数値は比例する

私が私の事認められないのなら一生私は幸せの中で苦しむんだよ そんな皮肉耐えられないでしょう

私の感じてる幸せや楽しいや可愛いは日常生活を捨ててまでして手に入れたものたちなので、守りたいものでもあり同じくらい手放したいものでもある

 

好きな人たちが好きと言ってくれる自分、また少しずつ好きになっていけたらいいね

グレーゾーンをもっと知りたいです。

 

 

令和も

誰にも見えないところで誰も想像出来ないようなガイジはなちゃんを見守っていきたい

私しか知らないガイジベイビーハチャン

令和も伸び伸びと生きてくれ

お前の人生はお前だけのものだよ

世界を欺いて見捨ててくれ

「出来て当たり前」のサイズ感について考えてる

 

人は生まれた時に、心の「許容量」を表す箱を渡されていると思う。

サイズは選べないので、一つ一つの大きさも違う。そこに自分の出来ることを書いたボールを入れる。

箱のサイズが違えば入るボールの数にも差が出る。ボールの種類も違うでしょう

当たり前にもサイズがあるのだと思った。

だからその人のサイズ感を知らないくせに自分の当たり前を押し付けることは、とても失礼

他人の人生は他人のものなので

他人を批判するのは、人と比較することで自分のサイズ感を確かめたい という承認欲求の表れだと思う

クソほど生産性のない行為

私は人の承認欲求を満たす道具になんてなりたくないな 人はどっちでもいいけど

皆は頑張ってるとか皆もつらいとか本当に私には関係ないので

私の世界には私しかいないし、私が見えるつらさは私のつらさだけなんだよ

自分の人生自分しか経験してないから最終的に自分を救うのは自分だ と思うと、つらいような楽になるような

 

パーソナリティ障害にまみれたアパルトヘイトで夢も現実も分からなくなっちゃうような世界があればいいのに