バイトが終わり電車に乗って家に帰る

 

ドン・キホーテカラコンを買った

友だちの同居人の話を聞いて自分の機嫌を取る

私は大丈夫と自分に言い聞かせる

自分でなんでも解決できるはずなんだ本当は

人を変えようとする自分がおかしいと、そんなことは何年も前から理解している

 

人の言葉はいつになったら忘れられるか

絶対一生忘れられないんだよ

不思議と言葉は忘れても、その時の気持ちはずっと覚えているもので、一度感じた感覚は何年経っても繰り返し私を殺す

 

他人の言葉に含まれたそれ以外の感情は私にはわからない。憶測で決めつけたくもない

言い放たれた言葉が私には全てで

 

10パーの言葉も私は100で受け取る

みんなそうだと思うから。

伝え方はいくつもあるのに、自分も他人も言葉を操るのが下手すぎる

心と口は脳みそで繋がっているからこそ難しい

言葉が感情を持たなかったらいいのに

と思う

 

今の自分が1番大切にしたいのは子供たち

子供たちに生かされているから私も子供たちに返したい

辛い自分はもう嫌だ

弱みを見せて人を操る自分ももう嫌だ

死んで欲しい

本当は本当に私は私が大嫌いだから

本来の自分と生きていかないといけないくらいなら今死にたい

 

だから嘘をついて毎日暮らす

毎日を手作りするってこういうことなのか

私はずっとハンドメイド作家をしていたのか

生業:ハンドメイド作家、無責任アーティスト

 

みんなが同じベクトルで生きられないことがこんなにも辛いとは

理解していたつもりでなんの意味も考えていなかった

他人に興味のない人間は成長できない

この言葉が刺さって死んで欲しい

この感情はどこかに吐き出さないと己を殺す武器になるから

感情はできるだけ文字や言葉にするべきなんだよね

だから私はこのブログをやっている

 

 

 

 電車に乗ったら窓に貼られた広告に「骨髄バンクのドナーに!」と言われた。

 優先席にデカい顔して座るヤーマンや降りる人を譲らず乗り込むサラリーマンなど、小田急線は雑魚がよく吠える。

  私の目の前にはイケメン高校生が座っていて、その子との学校生活を妄想しながら最寄りまで暇を潰す。

 つまり私も雑魚なのだ。

 

 外は暑い。まだ朝の8時台なのに日傘をさしてる馬鹿もいる。馬鹿か?と思ったが馬鹿なのは間違いなく日本の気温だ。

 暑さで人は馬鹿になるというが、その通りかもしれない。最近自分も自分の周りも明らかに狂ってる。日に日に増す狂い。

 気温に、生活に、思考に耐えられなくなり人は狂う。

 2023年夏、私は狂いに拍車が掛かっていた。

 

 今年の夏、私は失恋をした。

 冬に生まれた感情は春に育って夏に死んだ。

 

 「好きで好きで仕方なかった。」

 私は殺人未遂なんてしていないが、この言葉以外に例えようがない。

 

 好きで好きで仕方なかった。から何もできなかった。本当に何も。

 

 これが仕事だったら迷わず解雇だ。

 ただ店の端に立ってスマホを構う、某スケートブランド店員と化していた。

 

 自分の手に追える自信がなかった。

 だから明確な願望を持つことを避けて、感情も無視した。

 ただ好きという言葉だけは一人歩きしていた。

 

 見えるもの全てが好きだった。

 愛が形になったような口とか、馬鹿みたいに大きすぎる手とか、見た目の割に高い声とか。

 私が知れる全てが好きで、嫌いな部分はひとつも見つけられなかった。

 それがまた腹立たしいのだ。

 

 知れば知るほど好きになってしまうから、必要以上に見たくないし会いたくなかったのかもしれない。

 

 どんな距離でも構わないからずっと見ていたかったし、なりたいとさえ思ってしまった。

 私が見た視線、声、匂い、半永久的に共有してほしかった。

 

 現実を知りながらも夢想していた自分が憎い。

 

 だけど絶望は不覚にも軽かった。

 あんなに好きだったのに、こんなにも早く立ち直ってしまう。

 そんな自分がまた気持ち悪い。

 半年間私が大切にしてきた気持ちはなんだったんだろうか。

 理由や原動力が欲しかっただけなのではないか。

 本当は縋れるものならなんでも良かったんじゃないか。

 

 私には逃げる場所が必要だった。これからも必要。

 

 救ってくれるのは恋愛対象ではなく、その場に置かれた自分。

 どこにも行かないでほしいのも自分。

 やり場のない自己愛を野放しにして誰かに重ね合わせたりしているだけ。

 

 そんな自分の愚かすぎる側面を俯瞰しながらも、私は私の連鎖を止められない。

 

 そして気づいた頃には夏も終わっているのだろう。

 

 秋、妊婦の腹のように膨れ上がった私の自己愛は、破裂してしまうだろうか。

 

 

バイト終わりの電車で泣いた

つらくて泣いた

大森靖子の死神を聞いて泣いた

僕をボロボロにした全て僕はどうしても殺したくて のところで大号泣

物理的に殺したいわけではないけど、私の中で殺したい、私の中の対象にしんでほしい

私をボロボロにした全ては私の中でずっとイキイキしている

その記憶はわたしの目の前で死ぬまで繰り返されるずっと何年も消えずに

今日は何をしてもだめだった。自分を傷つけている何かよりも私が劣っている現実を突きつけられたような気持ちだった

薬を飲み忘れたせいかな

私が私を認めてあげないといけないのに、それができないときってどうしようもなくつらい

99の愛よりも1の否定で全てが崩れてしまう

その1が自分であることもよくある

でもそれが他人だった場合、どうしようもない

解決ができないので気持ち悪い

誰かにボロボロにされた顔体心で歩いて家に帰る

ほんとどうしようもないな

毎日ハッピーでいたいだけなのに

脳みそが空っぽだから死ぬほど響く。響いて痛い

なんでも隙間があることが悪い

何も考えないためには埋めないといけない

なのに埋めようとすると埋まらない

どんどん無意味な負のキャパは広がっていく

宇宙かよキショいねん

2021年3月24日すいようび 天気は晴れ

気分も晴れ

年始にニンテンドースイッチを買ってもらった

毎日あつまれどうぶつの森をやっています

ゲームをやるのはほとんど初めてなので、初めは何が楽しいのかさっぱりわからなかった

こちとら無人島旅行に来てるのに、主催者のたぬきが島作りをし始めて死ぬほどこき使われるしブチギレながらここまで進んできた

だが今はもう俺のターンだ

金に物を言わせ、わたくしは広大な敷地を手に入れたのである

 

2022.4.7

仕事を辞めた。

 

案外簡単に辞めれるものだった。

ずっと自問自答してた。本当にやりたいことをやっている実感の持てないまま数ヶ月が過ぎた。

やりたいことなはずなのに、何か違う。

やりたくなかったのか、やり遂げられないことが怖かったのか、わからない。

本当に辞めてよかったのか。わからない。

続けられなかったことは確か。

結局、辛い思いをしてまでやりたいことではなかったんだろう。

 

敷かれたレールの上から外れることに、とてつもなく勇気がいることは私が一番知っている。それに伴う辛さも

逃げる勇気を出すために時間を費やした。

こんなこと、人生で何度目だろう。

結局私はまたやめた。

人生のスタートラインに立てたつもりでも、いつも崩壊させてしまう。

何度も繰り返している。

そしてスタートラインに立つことさえ出来ずにいる。

死ぬまで繰り返すのか。

そもそもこの世に私のやりたいことなんてあるのか。

他人を見て、他人の行動に興味を持ったことがほとんどない。一度もないかもしれない。

思っていたより自分は冷たい人間だった。

結局他人のことなんてどうでもよかった。

なのに自分の身なり、行動、言動は常に気にしていた。無意味と分かっていても、気にした。

自分のためだけに。

 

頑張ることすらできない自分に落胆する。

間違ってることは分かる。

そんなこと思わなくてもいいことも分かってる。

でも、22年生きていて何一つ成し遂げたことがない自分を許すことは簡単じゃない。

頑張れたらどんなに楽か、頑張れないことがどんなに辛いか。

 

頑張ると決めたならとことんやらないと気が済まない。

苦しいと感じないと頑張っている気がしない。

どこか傷ついていないと不安だ。

そうすることで自分を保って楽になっていたのかもしれない。

頑張るというよりも、自分を苦しめること。

それが自分の正解だった。

でもその頑張りが続くことはなかった。

苦しみに変わって終わっていた。

 

周りと同じことができないのに、どうやってここまで生きてきたのかわからなくなる時がある。

無理してただけなのか頑張れたことがあったのか

 

 

退屈がとにかく怖い。

退屈と思いながら何かすることが怖い。

退屈が生むものなんて何もないから。

それならその時間、私は本を読みたいし映画を見たい。

なんでみんなが毎日当たり前のように、退屈な時間をやり過ごせるのかわからない。

人生で1番感じたくない感情。

退屈。

 

だけど毎日退屈はやってくる。

楽しく思えていつもどこか退屈している。

そんな人生があと何十年も続くなんて、考えるだけでゾッとする。

それでも人生いつでもやり直せるって言葉を信じるふりをして、明日も退屈しながら生きるしかない。

22歳

今年も誕生日がきた

お父さんとお母さんと犬と大好きな人たちに囲まれてケーキを食べた。

お父さんとお母さんが用意してくれたイチゴと生クリームのホールケーキ、ショートケーキじゃなくて丸くて大きいやつ。

子供の頃から小さいケーキを4人分買ってきて食べる家庭だったから、ホールケーキへの憧れがあった。誕生日にホールケーキを食べたいってずっと思ってたけど、なぜか言えなかった。子どもなりの配慮。だから嬉しかった。

 

21歳の私はたくさんの人傷つけて少し傷ついた。

いろんなことがありすぎて3年分くらい生きた気がする

人生でほぼ初めて仕事してみたり、結局うまくいかないまま22歳になっちゃったけど

いろんな出会いがあって目まぐるしい一年だったな

あんまり思い出したくないことが多い

友だちも増えたのかな

増えたけど減った気もする

 

ずっと辛いみたいなことはあんま無かった

1番悩まされてた病気が良くなったことがとても大きい出来事

回復の年だった

 

ちゃんと強くなっていったよ

3年前のはなに大丈夫だよ今の悩みは消えるからって言ってあげたい。

3年前のはなはきっとその病気のことで頭がいっぱいになってるから。

そんなことで悩んでる暇なくなるくらい普通っぽい悩みがわんさか出てくるよ

 

もうあの時みたいな卑屈な言葉は出てこなくて悲しいけど

もうあの時みたいな思い二度としたくないから

今思えば回復してくにつれてブログも書かなくなってた

 

どこにもやり場のないつらさはずっとあるよ

それはまだ消えそうにない

3年前のはなは、病気が良くなって私が私じゃなくなるのが怖いって言ってた

でもわかる

たまに自分が自分じゃ無くなってしまった気がする

自分を助けるための言葉が出てこなくなる

縋れるものが何もなくて怖くなる

 

虚無になってしまった気がする

 

つらかった時のことあんまり思い出せないから

ちゃんと生きていたのに思い出せなくてごめんね

あの日もあの日も嘘みたいに思える

覚えていても他人のことのように思う

ごめんね でも今はこれでいい 

 

きっとまた私は辛くなるから

その時また思い出して、会おう