負け犬論

あくまで独り言

「出来て当たり前」のサイズ感について考えてる

 

人は生まれた時に、心の「許容量」を表す箱を渡されていると思う。

サイズは選べないので、一つ一つの大きさも違う。そこに自分の出来ることを書いたボールを入れる。

箱のサイズが違えば入るボールの数にも差が出る。ボールの種類も違うでしょう

当たり前にもサイズがあるのだと思った。

だからその人のサイズ感を知らないくせに自分の当たり前を押し付けることは、とても失礼

他人の人生は他人のものなので

他人を批判するのは、人と比較することで自分のサイズ感を確かめたい という承認欲求の表れだと思う

クソほど生産性のない行為

私は人の承認欲求を満たす道具になんてなりたくないな 人はどっちでもいいけど

皆は頑張ってるとか皆もつらいとか本当に私には関係ないので

私の世界には私しかいないし、私が見えるつらさは私のつらさだけなんだよ

自分の人生自分しか経験してないから最終的に自分を救うのは自分だ と思うと、つらいような楽になるような

 

パーソナリティ障害にまみれたアパルトヘイトで夢も現実も分からなくなっちゃうような世界があればいいのに

大切なものがどんどん増えていく

嬉しいけど悲しい

私が変わってしまったから、あの時言ったこともなかったことになってしまう

あの時の私にとってのあの人やあの人も

私の変化で記憶が全部上書き保存されていっちゃう

あの時感じてた楽しいとか嬉しいとか、忘れてしまった。純粋だった私が作った思い出は消えちゃう

数年前使ってたブログを見て寂しくなった

結局あの時一番幸せにしてあげたかった人たちのこと一生懸命助けようとしてくれた人たちのこと、一番不幸にさせちゃったのははなだ

私の潜在能力がとかじゃなくて、自分が自分に向けてとった行動が周りを不幸にさせちゃった

それくらい寄り添っていてもらえていたのに

それなのに私ばかり都合よく別の場所で幸せを探してしまっていいのかな

他のみんなは置いてきぼりで、辛い時だけ頼ってしまっている現状

親ってそういうものだよって言うけど、親を幸せにするのも子供の役目なのだよ

沢山愛をもらっているし

 

体を休めようとすると心が休まらない

心を休めると体が休まらない

上手にバランスが取れません

 

自分の中で渦巻く承認欲求にやられている

自分が全然分からないから他人に私を見定めて欲しい

私はどんな人間なのでしょうね〜

自己分析をやめてはいけないとか分からないからこそ楽しいとか

そんなの生きていて何かしら自分を肯定できているからこそ言えることだと思う

強制されたところで自分の物差しを私に押し付けるなよとしか思えない

幸せのサイズ感は人それぞれ違う

 

時々死にたくなる

毎日生きたいと思っているからこそ思うように生きられないことがとても悲しくなる

自分の命の価値がわからなくなると、警察とか病院を使って自分の価値を測ろうとしてしまう

法的処置で自分の命を感じるようになってしまった

1瞬1秒生きることについて考えていたくないのにな

将来のこととか行きたい場所とか

自分以外に意識が向けばいいのだけど

難しい

自分のことが大切で大好きだからこそ自我を手放せなくて毎日泣く

はなちゃんとお別れしたくないよ

どんなはなともバイバイしたくないよ

全部今日まで私が生きていた証だ

真っ暗な道を歩きながら地図を描いてきたのに

 

私は幸せより不幸の方が大切なのかもしれない

不幸を感じてた時から今まで私がどう生きてきたかその時間の私が私は一番好きなのかもしれない

根がガンジーだから

楽しかった思い出を持っている自分が今日も大切だった

楽しかった思い出を守るために苦しい思いしなきゃいけないなんて皮肉だ

私もみんなも笑顔が1番

そんなことは私だって分かっている

自己認知

 

本物の自分がよくわからなくていつも頭の中で会話している

何をするにも会議が始まる

寝る寝ない、トイレに行く行かない、どっちがいいと思いますか?自分が辛い方選べば?もう1人の私が全ての権力を握ってる。

どっちでもええやろ普通に馬鹿かよ

って思うけど何故やめられないのか全然わからない

こんなことが生きづらさの根本的な理由だなんて本当に馬鹿げてる

ここ数年感情のまま動くということをしていない

水のように生きてるフリして頭の中ではバチバチな上下社会が成り立っている

水みたいにサラサラ障害物を避けて生きていたかった

私の人生はどちらかと言うと排水口のような感じだな、すぐ詰まる、なんか汚い

リストカットとかodとか他人を困らせることはもう飽きてしまった

他人に心配されなくても、私がやばいなんてこと私が1番わかってる

 

自分のキャパシティわからないし常に理想の自分を基準に生きているからなのか本物の自分が全然わからない、自分がどこに立ってるのかもわからない

分からないから理想の自分に自分を押し付けてしまってるだけなのかもしれないけど

こんなことを考えていたって結局私だけの問題なのですがね

そう考えると心が楽です

意味の無い悩みだから誰も巻き込みたくない

悩む必要ないんだよって言ってる自分もどこかにいて、客観視している自分が濃くなる時もあるから

自分の中に2人居るのは良し悪しだな

助けてくれる時もある

まあだいたい強い方の私にねじ伏せられてるけど

そっちの自分相手にしなければいいんだけど

負けず嫌いでお人好しだから都合よくてのひらで転がされてしまうね

はなちゃんはただ間違ってる自分に間違ってるって意思表示出来ないことが毎日悔しいんだね

自分に嫌われることが一番怖いんだな

悩んでます

 

特に何もない

 

今日も自分のこと嫌いだった

人に指摘される前に自分の嫌いなところを探して予防線を張ってしまう

 

自分がなんなのかよく分からなかった

今日も

何と闘ってるのかよくわからない

何もない

自分がどっかいってしまった

 

ストレスのバロメーターがバグってしまい

どういう感覚で生きていたのか忘れた

自分の好きだったところを思い出せない

嫌いなところ治す気力がない

そうか気力がないのか

悪いところ治す気力がありません

疲れてしまった

自分が困るだけなのだが

明日も明後日もこんな自分におはよ〜おやすみ〜って言うの嫌だな

こんな自分の顔洗ったり歯を磨いたりするの嫌すぎるな

自分のためにご飯作るのめっちゃ時間の無駄

可愛い服着るのも化粧品使うのも勿体ない

 

自分を大切にする方法がよく分からない

自分めっちゃ大切だ私

だから生きてるし死ぬつもりもない

でも普通使えなくなったものは捨てるじゃんか

壊れちゃったものも捨てる

元に戻る見込みがあるから生きてるの

だと思うけど

普通の女の子になれるのかな私は

普通になること自分で拒んできたのに

 

本当のはなを肯定してくれる人はいるのか

本当の自分誰にも見られたくない

だって本当の自分が何よりも嫌い

 

 

惰性

 

夕方バイトの研修に行っていた

夜は鬱が始まってた

さっき湯船に浸かって食器を洗った

一日が終わった

最近鬱が始まる前に切り替えてやれることをやることにしてる鬱になっててもタバコ吸って勢いでやる

 

自分に関して嫌いと思う

ちょっと前は、自分のことどうも思ってなかったのだけど

行動とか思考とか容姿が嫌い

自分という物体が嫌いなわけじゃない

私が好きなものは好き

私の好きは間違いなく合ってる

私を取り囲む環境も私そのものならば、私という概念は好き

だが仮に私の周りの人の好きな私が、わたしのきらいな私だったら、また私は私のこと嫌い

めんどくさい

私が嫌いな私は私を苦しめてくるので

私対私の関係でずっと悩んでる

その仲介に入ってくれちゃう人がいるともっと悩んじゃう

私と私の問題だから私と私で解決しないと

でも他人は、私の嫌いな私と好きな私、区別できないと思うから 難しいね

まずは私と私が仲直りしなきゃいけないんだけど、もう19歳にもなると小学生の仲直りより難しい

明日も明後日も病院だ、寝なきゃ

 

何もない部屋で一人で何をするわけでもなく耳を塞いで時計の針を見て時間が過ぎるのだけを待って24時になったら今日もまた命を延長できたことに安心する、けど一日何の成果も得られなかった自分を責めてそこから地獄の24時間がまた始まる

自分のために自分の労力や他人の労力を使いたくないから誰にも迷惑をかけないで誰にもバレない方法で自分を殺しまくって、加害者にも被害者にもなることで安心する

私は誰にも傷つけられないし私は誰も傷つけていない今日も自己完結できた

私を傷つけられるのは私だけだし私が傷つけることができるのも私だけ

とか思いながらマイスリーを飲んで電気を消す

何もなかったことにするために何度も体と顔を洗って部屋を片付けて血が出るまで歯を磨いて手洗いでボロボロになった手にクリームを塗って布団に入る、最後にお母さんに今日もごめんなさいって言う

一日を終わらせる準備は起きた時から始まってる今日はいつもより早く今日が終わればいい

社会そのものとの調和、道を歩くこととか電車とか信号とかいつからこんなに難しいものになったのか

私が社会を受け入れられないから社会不適合とかいう言葉を使って逃げてることも悔しい

どんなにぼろぼろになっても自分の大好きや大切を本物にするまで図太く生きるけど