負け犬論

あくまで独り言

君ハック

今 わたし、わたし 今

許してほしいの 今日をあなたに

醜い顔したお化けでも

見えないフリして、明日また会うの

 

ずっと見ていて だけど見ないで

都合よくていいから

こんな現実 どうでもいいの

わたしは 夢でいたいの

 

どうしても 許せない

こんなにも 今が愛しく

消えないでと

呟いたのは

昨日の わたしよ

 

 

あすもまた、ごめんなさい 

前払いじゃなきゃ 生きていけない

もう逃げて欲しいあなただけ

騙されないでよ 悪魔の呪いに 

 

どうしてわたしが わたしだけなんで

そんなこと言わないわ

図々しいけど お願い許して  

死んでも ここにいたいの

 

こんなにも 許せない

どうしても 過去が愛しい

消えないでと 呟かないで

明日の わたしも

 

 

どうしても 許せない

こんなにも 今が愛しく

消えないでと

呟いたのは

昨日の わたしよ

 

 

他人が与えてくれる幸せに持続性はないと思ってるので、いつまでも孤独を感じてしまいます。

他人から与えられる幸せはいつなくなるか分からないし、その幸せは私の所有物ではない。それはたとえ親からの愛情であっても。他人が自分にくれたものじゃなくて、見せてくれているものなんですね。

そこで深く傷つくような気がする。

他人との交流で傷つく時は、だいたい相手に理想を抱きまくってる

こうあってほしいとか、こんな人なんだろうなとか、こう言ってほしいとか。

それって世間的には好きというよりも、承認欲求を満たしてるみたいな。そのスリルに快感すら感じてるみたいな

依存とか共依存というのかな

みんな口を揃えて依存は良くないとか言うし私もそう思ってました

でも

それって超素敵だと思った。

好きの形のレパートリーとしてめちゃくちゃありなのではないかと思います。

今の瞬間自分の人生に必要なものがそれで、それを軸に人生動かせちゃうんだから

愛の定義をひとそれぞれ持っていいなら、私は生きるための原動力のひとつだと思ってる。

だとしたらそれって大きな愛の形じゃん。

好きな人のために生きるってこととなんも変わらないじゃんて思う

大切な人がわざわざ自分に幸せ見せてくれてんだから自信持ちたいよね

たしかに依存の上で傷つくことは沢山あるかもしれないけど、それは個人の問題で、関係性と直接繋がる話ではないのかなって思う

私は理想の自分に依存しまくって生きてきたけど、さっさと自分の限界認めて他人からの愛を自分のものにちゃえば良かったなって感じてるよ

令和いかがお過ごしでしょうか。

こんばんは、はなです。

このブログを読んでくれている人、今日は何して過ごしてましたか

 

私は日々幸せと不調を繰り返しています。

1人の人生はあまり上手くいっていません。

幸せが大きすぎて反動が苦しいだけなのか。

病気自体は良くなっていません

始めたアルバイトは5回くらいで辞めました。なんのバイトをしてもだけど、退勤後毎回手が血だらけになってしまいます。

学校も行けていません。授業中も常に発作が起きないようにドキドキしているので授業全く聞けなくなってしまった。

家にいると自傷行為が止まりません

夜中になると幻聴が止まらない

外を歩く人は皆私の悪口言ってるのかな

やっぱり私気持ち悪いのかな

自分が汚くて汚くて仕方ない

 

それでも結局、なんであの子何不自由なく生活しているのに病んでるの?と聞かれてしまう

私は人間苦しいと言うことに基準などないと思うけど。まあ人の価値観は否定できない

私は間違いなく幸せだし、環境に対して不満を持ったこと一度もない。自分の置かれてる環境と自分の価値観がズレがあるからこそ苦しい。望んで生まれてきたわけじゃないし、世の中の価値観と私の価値観が違うだけで責められるのは悔しい

私の生きる環境が世間一般的でいう幸せなら幸せなほど、根拠の無い主観的な幸せを押し付けられれば押し付けられるほど、生きづらさの数値は比例する

私が私の事認められないのなら一生私は幸せの中で苦しむんだよ そんな皮肉耐えられないでしょう

私の感じてる幸せや楽しいや可愛いは日常生活を捨ててまでして手に入れたものたちなので、守りたいものでもあり同じくらい手放したいものでもある

 

好きな人たちが好きと言ってくれる自分、また少しずつ好きになっていけたらいいね

グレーゾーンをもっと知りたいです。

 

 

令和も

誰にも見えないところで誰も想像出来ないようなガイジはなちゃんを見守っていきたい

私しか知らないガイジベイビーハチャン

令和も伸び伸びと生きてくれ

お前の人生はお前だけのものだよ

世界を欺いて見捨ててくれ

「出来て当たり前」のサイズ感について考えてる

 

人は生まれた時に、心の「許容量」を表す箱を渡されていると思う。

サイズは選べないので、一つ一つの大きさも違う。そこに自分の出来ることを書いたボールを入れる。

箱のサイズが違えば入るボールの数にも差が出る。ボールの種類も違うでしょう

当たり前にもサイズがあるのだと思った。

だからその人のサイズ感を知らないくせに自分の当たり前を押し付けることは、とても失礼

他人の人生は他人のものなので

他人を批判するのは、人と比較することで自分のサイズ感を確かめたい という承認欲求の表れだと思う

クソほど生産性のない行為

私は人の承認欲求を満たす道具になんてなりたくないな 人はどっちでもいいけど

皆は頑張ってるとか皆もつらいとか本当に私には関係ないので

私の世界には私しかいないし、私が見えるつらさは私のつらさだけなんだよ

自分の人生自分しか経験してないから最終的に自分を救うのは自分だ と思うと、つらいような楽になるような

 

パーソナリティ障害にまみれたアパルトヘイトで夢も現実も分からなくなっちゃうような世界があればいいのに

大切なものがどんどん増えていく

嬉しいけど悲しい

私が変わってしまったから、あの時言ったこともなかったことになってしまう

あの時の私にとってのあの人やあの人も

私の変化で記憶が全部上書き保存されていっちゃう

あの時感じてた楽しいとか嬉しいとか、忘れてしまった。純粋だった私が作った思い出は消えちゃう

数年前使ってたブログを見て寂しくなった

結局あの時一番幸せにしてあげたかった人たちのこと一生懸命助けようとしてくれた人たちのこと、一番不幸にさせちゃったのははなだ

私の潜在能力がとかじゃなくて、自分が自分に向けてとった行動が周りを不幸にさせちゃった

それくらい寄り添っていてもらえていたのに

それなのに私ばかり都合よく別の場所で幸せを探してしまっていいのかな

他のみんなは置いてきぼりで、辛い時だけ頼ってしまっている現状

親ってそういうものだよって言うけど、親を幸せにするのも子供の役目なのだよ

沢山愛をもらっているし

 

体を休めようとすると心が休まらない

心を休めると体が休まらない

上手にバランスが取れません

 

自分の中で渦巻く承認欲求にやられている

自分が全然分からないから他人に私を見定めて欲しい

私はどんな人間なのでしょうね〜

自己分析をやめてはいけないとか分からないからこそ楽しいとか

そんなの生きていて何かしら自分を肯定できているからこそ言えることだと思う

強制されたところで自分の物差しを私に押し付けるなよとしか思えない

幸せのサイズ感は人それぞれ違う

 

時々死にたくなる

毎日生きたいと思っているからこそ思うように生きられないことがとても悲しくなる

自分の命の価値がわからなくなると、警察とか病院を使って自分の価値を測ろうとしてしまう

法的処置で自分の命を感じるようになってしまった

1瞬1秒生きることについて考えていたくないのにな

将来のこととか行きたい場所とか

自分以外に意識が向けばいいのだけど

難しい

自分のことが大切で大好きだからこそ自我を手放せなくて毎日泣く

はなちゃんとお別れしたくないよ

どんなはなともバイバイしたくないよ

全部今日まで私が生きていた証だ

真っ暗な道を歩きながら地図を描いてきたのに

 

私は幸せより不幸の方が大切なのかもしれない

不幸を感じてた時から今まで私がどう生きてきたかその時間の私が私は一番好きなのかもしれない

根がガンジーだから

楽しかった思い出を持っている自分が今日も大切だった

楽しかった思い出を守るために苦しい思いしなきゃいけないなんて皮肉だ

私もみんなも笑顔が1番

そんなことは私だって分かっている